ディープがしんじゃった。。泣
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ディープインパクトが急死 30日に安楽死の処置
現役時はクラシック3冠をはじめG1・7勝、顕彰馬にもなったディープインパクト(牡17歳)が30日に急死したことが、けい養先の北海道・社台スタリオンステーションから発表された。
同馬は2004年にデビューし、通算14戦12勝(海外1戦0勝)。05年、06年の年度代表馬になり、08年には顕彰馬に選出された。種牡馬としてもG1・7勝の名牝ジェンティルドンナ、日本ダービー馬のキズナ、ロジャーバローズなど、数々の名馬を生み出した。
引退後は種牡馬として活躍していたが、頸(けい)部(首)に痛みが出たため今年3月に種付けを中止していた。今月28日、頸部の手術を受けたが、翌29日の午前に起立不能に。30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ、頸椎(けいつい)に骨折が見つかり、回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られた。
<※スポニチ引用>
◆【社台 公式HP 引用】「弊社にて繁養しておりましたディープインパクト号ですが、かねてより治療しておりました頸部の手術を7月28日に受けました。手術は無事に終了して術後の経過も安定しておりましたが、翌29日の午前中に突然起立不能になったため懸命の治療を試みました。30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎に骨折が見つかり、回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られました。突然の出来事で誠に痛恨の極みではございますが、謹んでお知らせいたします」
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【ワカ】ディープの三冠が2005年。今年の3月で50歳になった武豊。60歳まで現役希望らしいが、その話はノーコメントで。ディープ産駒(ジェンティルや、コネでも勝てるワグネリアン)を出すまでもなく、サンデーの血を踏襲した超一流の名馬&名種牡馬だが、その馬主の眼も忘れてはならない。また1つの時代が終わった。安らかに。。
追伸1
ぶっちゃけ、週中、有力馬ローテや関係者関連など、様々な情報が入ってきて、それの処理に追われることがある(意外と面倒)。今回もソレともいえるが、(分かっていたこととはいえ)かなりの放心状態になってしまった。。
追伸2
ワカの愛馬ディープスカイはタキオン産駒です。(このミスコメ多いから案外要注意w)
ブリランテは素直にディープ産駒です。
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■ルメール「天才ホース」ディープインパクト悼む。
ディープインパクトを国内で唯一破ったハーツクライの手綱を取ったクリストフ・ルメール騎手(40)が7月31日、札幌競馬場で偉大な馬の死を悼んだ。「びっくりしました。日本の競馬にとって残念ですね。すごいきれいな走りで、天才ホース。特に瞬発力。その後はすごくいい父になりました。グレートスタリオン(種牡馬)」。
05年の有馬記念でルメール騎手は後方待機がスタイルだったハーツクライを先行させて、単勝1・3倍と断然人気のディープインパクトに半馬身差をつけて勝った。「大きな思い出ですね」と懐かしそう。ディープ産駒では、サトノダイヤモンド(16年菊花賞、有馬記念)などでG1を制している。<日刊スポーツ> ワカ◆ルメの存在価値。いまや日本のダービージョッキーになってJRA騎手として無くてはならない存在、になったのも国内唯一の敗戦、あのハーツクライの有馬記念があってこそ。それがあるから今のハーツクライの種牡馬としての存在もある。そして翌年、ディープは凱旋門賞戻りでJC→有馬記念と連勝して引退。この頃から、既に「海外戻りは減点」という価値観は持っていたが「突出した1番人気」という例外項目が出来たのは、この馬からすぎる。懐かしい。
■デムーロ爆弾発言、勝手にディープに乗っていたw
31日の大井競馬場にJRAの武豊騎手、M・デムーロ騎手、和田竜二騎手が来場し、トークショーを行った。栗東での記者会見を終えて駆けつけた武豊騎手は、ファンの前であらためてディープインパクトとの思い出を語った。マイクがデムーロ騎手に渡ると、横から武豊騎手が「ミルコは(種牡馬になってから)北海道で1回、乗ったことがあるんですよ。放牧しているところを勝手に」と爆弾発言。和田騎手の「うそやん。ユタカさんしか乗ったことない言うてたのに」というツッコミを受けたデムーロ騎手は「乗りたかったんよ。すばらしい馬でした。きれいだし、そんなに大きい馬じゃないけど、力がすごい」と感想を語った。<日刊スポーツ> ワカ◆騎手ならというか昨今の関係者はディープインパクトの仔に乗って・育ててナンボ。そんな目標がいなくなってしまったのは残念だが、サンデーの穴を埋めたのがディープ。ディープの穴を埋めるのは。しかしデムはヤンチャですねw
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それでも競馬をするからには、この安定感は重要です。