2024年度28重賞中16鞍的中!! '23年以前[129の76鞍ok][80,77,85鞍ok] 嘘の無い競馬データサイト 先週も万馬券多数的中!! この証拠はExcelデータをダウンロードすれば分かる♪

武豊が活躍できる理由とJRAの本性

武豊が活躍できる理由とJRAの本性

そもそも騎手 調教師 厩務員等の厩舎関係者においてはその半数以上が親族血縁である。
これは現在の日本中央競馬会における「騎手 調教師 厩務員」果ては「競馬新聞記者 JRA職員 一般報道関係者」などにまで広がる「同族支配組織」の原型といえる。

ここにクレームを言っても馬券的中率はアップしない。

 馬券術として、これをどのように活用するのかを念頭に置いて、騎手社会というものが、いかに縦社会であるのか。それによって軸馬にする必要の無い馬からの無駄銭を減らして欲しいという理由から記載した。

武豊といえば

日本中央競馬会のスタージョッキー「武豊」
父親は、現役騎手時代「魔術師」の異名をとった 武邦彦(現調教師)
さて、武豊は何故G1を勝てるのか? 騎乗フォームなど現在を様々語る方もいるだろうが

 では何故、武邦彦はあんなにG1を勝てたのだろうか?

それは経歴を少し調べれば分かる。

武豊のオヤジの経歴は?

1938年、函館市郊外の園田牧場に生まれる。(苗字が武なのに園田牧場って??)

近郊で屈指の名家の出身であり、父・【武 芳彦】は北海道馬主協会の重鎮、祖父の【武 彦七】は日本近代馬術の祖・函館大経の直弟子として多くの騎手、調教師を育てた馬術家である。
園田牧場は大伯父の【園田 実徳】が興し、80頭からのサラブレッドを繋養した大牧場であり、これらと親しみながら幼児期を過ごした。

中学2年生の時、京都競馬場で厩舎を開いていた叔父・【武 平三】の勧めで京都に移り、騎手見習いとなった。しかし騎手試験には数度落第し、騎手免許取得は19歳となった1957年のことだった。この間に高校を卒業しており、中央競馬史上数少ない高卒騎手の一人であった。


いろんな【武さん】が登場しましたね。 数度落第するような人に、能力の高い馬の騎乗依頼がたくさんあるのを不思議だと思いませんか? 少し競馬の歴史を勉強してみましょう。

安田記念の安田さんは実は

少し前置きを。「JRAとは日本中央競馬会」
 競馬の健全な発展を図って馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため、競馬法により競馬を行う団体として設立された法人で、農林水産大臣の監督を受け、政府が資本金の全額を出資する特殊法人である。

■この1954年9月16日に設立した「日本中央競馬会」の初代理事長
安田伊左衛門の功績を称えることから付けられている。それが安田記念。

だが、実はこの安田さん
 1906年(明治39年) - 社団法人東京競馬会設立。 理事就任。
 1910年(明治43年) - 東京競馬倶楽部設立。 理事就任。
という過去を持つ。

 あれ!? 1954年よりも前に競馬ってあったの?なら安田記念って。と思う方もいるだろう。
 もう少し日本競馬の歴史を勉強してみよう。

園田 実徳って誰?

明治40年5月 社団法人 日本競馬会の設立届けが提出
これと同時に「東京馬匹(ばひつ)改良株式会社」なる組織が誕生している。

「社団法人 日本競馬会」は非営利法人、「東京馬匹改良株式会社」は営利法人で同時に設立され、届出の住所は「東京市京橋区加賀町十一番地」で、まったくの同一である。 (営利と非営利の住所が同じ?? ということは・・・。)
 

発起出願人は
日本競馬会  【子爵 松平 容大】 (子爵=伯爵の1個下)
東京馬匹改良株式会社 【園田 実徳】
 

この【園田 実徳】の弟が「武 彦七」という武邦彦の「祖父」
現代の天才ジョッキー武豊 幸四郎兄弟の「曽祖父」である。
 

当時、馬券は民間会社により発売されていた・・・。 この件に関して相撲疑惑のような話は後術します。

武・園田なんで苗字が違う??

【園田 実徳】とは「東京馬匹改良株式会社」の経営者の名前である。
これが「武豊の曽祖父の兄」でもある。【園田 実徳】なる人物の弟、「武 彦七」が「武豊」騎手の「ひいおじいさん」にあたる訳だ。

 【園田 実徳】と武彦七、実の兄弟であるが苗字が違う。
 結婚したのか?いや違う。

【園田 実徳】は薩摩藩出身の士族である。 西郷隆盛の知遇を受けて、黒田清隆の配下となり活躍した。
(ウイキペディアでは:武一族の出自は鹿児島県の薩摩藩士であり西郷隆盛とも縁戚関係にある。と記されている。)
 

 黒田清隆が北海道の開拓次官となり、その属官として開拓使に奉仕していた。そのため西郷隆盛の「西南戦争」では北海道にいたため参加できず、のちに官職を辞して実業界に入る。
(この奇跡が無ければ現代競馬は・・。)
 

 このような人物が、社団法人 日本競馬会の設立と同時に「東京馬匹改良株式会社」を設立する。 北海道と鹿児島、日本の両端が日本サラブレッドの生産地の根幹となっている理由はこのあたり大きな要因がある。

日本でも有数の競馬一族の出自

2009年3月に行われた武邦彦の調教師引退パーティーでは「あなたの息子で光栄でした」とスピーチした武豊。この感謝の言葉が全てを物語っている。

さて『2009年3月という時期』を覚えておいて欲しい。

的中馬券が原価払い戻しになった過去

明治40年
 当時の勝馬投票券は 「1枚1ドル、単勝」のみ。
 「現在の貨幣価値で 1枚 10万円以上」

明治40年の目黒競馬場 秋期第2日目において派手な喧嘩沙汰を起こし新聞沙汰になった。喧嘩は【園田 実徳】VS「衆議院議員の檜山鉄三郎」  この日の目黒競馬で「国産馬レース」優勝賞金の大半を【園田 実徳】の持ち馬がさらっていき、事件は第9レースの終了直後に起きた。

 このレースも【園田 実徳】の持ち馬「ハナゾノ」が優勝した。
 檜山は「ハナゾノ」の対抗馬「クインタツ」の馬券を買っていた。

一等観覧席での騒ぎが次第に大きくなり、一般の観客もこれに乗じて騒ぎだした。
なにしろ、同じ馬主の持ち馬がその日のレースの大半で優勝しているのである。
この流血騒ぎが暴動に発展する事をおそれた競馬会は「馬券」の原価払い戻しを決める。
要するに「勝馬」の配当が「無し」となったのである。


 上記に関連して「競馬界」という昔からの既得権益で。ゲーム代(控除率25%)を支払って遊んでいること。『競馬関係者と馬券購入者の求めるものへの差違』 これを強く認識しましょう。

武幸四郎の戦績境界線

武豊の弟を最近軸馬で購入していますか
最近、どんな騎乗をしているか御存知ですか?

 何故、武豊の親族なのに成績があまりよくないのでしょうか?
 『2009年3月 父 武邦彦の調教師引退したのは上記に記載済』

'09年3月前■[560-477-547-着外5192 /計6791]勝率8.2% 複勝率23.3%
'09年3月後■[34-51-44-着外541 /計755]勝率4.5% 複勝率17.1%

騎乗回数すら減少し、明らかに馬券対象率が少なくなっている。
「身長」と「将来への安定」「資金余力」が大きな理由でしょうが、それよりも人気馬騎乗でも「1着へよりも安定した賞金を貰える着順」を目指していることがよく分かります。(2011年9月現在 病院ベッドですが)


別に血縁がうんぬんという揶揄をしたいわけではなく【馬が強いなら強い結果は必ずでます。しかし「1着という結果」になるとは限りません。 「1着に近い着順=馬券対象着順」を成し遂げる為には『騎手騎乗心理』が大きく左右します。 これは『騎手力量』よりも重要なファクターです。
 
 少々グレーに感じる方もいるでしょう。しかしJRAの競馬は、パチンコ・麻雀、その他の公営ギャンブルよりも「配当は大きく、安定したギャンブル」ということは忘れてはいけません。JRAは潰れません。

菅原隆一くん2年目での初勝利おめでとう

さてフレッシュな話題でも
父が元JRA騎手で現調教助手の菅原隆明、その息子の菅原隆一くんが
2011年8月28日に、ようやく初勝利を獲得。
よく頑張ったと誉めてあげたい。

 2年目208回目の騎乗で戦績[1-3-3-201]となったわけだが

これについて 2種類の言い回しが出来る。

 ■あなたの会社で、207回ミスが許されますか
 ■208回の人気平均「12.2番人気」で着順平均「11.4着」ならOK

ちなみに208戦目での初勝利は、今村康成騎手の136戦目を更新してJRA初勝利までの最長記録。 父が元JRA騎手で現調教助手の菅原隆明ですので、どうやって生活しているのかは御存知が多いですよね。

当然、涙ながらの初勝利。勝負の世界に涙などいらないとは言わない。
 何故これだけの記録を伸ばせるような騎乗回数があるのか。そちらの方が、今後の競馬予想に役立つのは想像がつくだろう。

『このまま周囲の状況が変化しない場合、菅原隆一くんを馬券の軸にしたいですか?』 貴方が大きな過去の歴代名馬と同じくらい強い!!と、ホレ込んだむような途轍もなく強い馬だったとして「△」で十分です。 さて菅原くんは、今年中に2勝目はあるのでしょうか。

同一にするのは失礼のような気もするが

国分優作も過去に同じような状況

国分優作とは、2011年に美浦から栗東に所属変更した今年3年目の騎手

 過去2年間は[ 7-15-18-着外386 /計426]連対率5.1%
 今年は[31-43-23-着外428 /計525]連対率14.1%(2011年9月4日終了現在)
 

成績は3倍です。 騎乗レベルが確率変動でも起こしたのでしょうか?
 関西は減量騎手の起用が多いからですが、結果が出るなら関東も同じようにすれば良いと思いませんか?


■「何故このようになるのか?」ではなく「どのように対応すれば良いのか!?」を考察するのが有効でしょう。  そもそも我々は1着~3着を的中させて馬券となるのに、騎手のという職業は1~3着以外でも賞金が貰えることに疑問を感じませんか?

■そしてもう1つ。所属変更が簡単に許されるなら、一流ジョッキーが所属変更をしない・出来ないのは何故でしょう♪


さて馬券としては

個々のコネクションにより騎乗回数や騎乗馬は途轍もなく大きく変化する。
 アドマイヤに武豊は騎乗しない。 そしてアドマイヤの有力馬に騎乗するチーム・軍団が存在します。その軍団の1人がアドマイヤの有力馬に対してする邪魔をすることはありえません。
■有力馬主・有力調教師の優秀馬の騎乗依頼を蹴って、他馬に騎乗することは、それだけ騎手にとって凄く大きなギャンブル。 結果を出さなければ「有力側からも・騎乗馬の関連側」の両者に迷惑を掛ける。
 →我々購入者側は、その騎手・調教師のギャンブルを「信頼感」として馬券対象として評価を重たくすることは重要です。
■なぜ藤岡調教師が息子2人に騎乗させない場合が存在するのか。すぐに理由ができますよね。

上記全てを、簡単に判断するのは【勝利数・連対率・複勝率】です。
更に【個別の状況に応じた勝利数・連対率・複勝率】なのです。

こんなものは本来JRAが無料公開すべきデータなのですが、「公開しないのは何故?」との質問には「既得権益にメスを入れることになってしまうから。」というのが総論では正解でしょう。


さいごに 今年の1年目騎手

今年2011年にデビューした7人への「騎乗回数=賞金獲得チャンス」は

 最高:嶋田純次244回
 最低:高嶋活士 74回
 (2011年9月4日現在)

1年目からの騎乗回数の差異=力量の問題
 ならば
そもそも騎手免許とは必要あるのでしょうか!?
 
天才ジョッキーの「魔術師」と呼ばれた父親は『騎手試験には数度落第』は既に記載した事実です。 別にセンチメンタルになる必要はありません。

我々は、これをデータとし馬券的中を目指せばよいのです。
(競馬関係者とは目標が異なることは大前提)

「うわべだけのダービー目標」はサクラバクシンオーが種牡馬として優秀な評価を得ていること。
ここからも想像に難くありません。

■あなたは重賞0勝の騎手を、重賞で軸馬にしていませんか
■年間1勝騎手を、わざわざ軸馬として購入する必要は(関東なら尚更)ありません
◆リーディングジョッキーと重賞勝ち鞍数が、比例していないのは福永祐一を知っていればご存知ですよね?

暗黙のルールは騎手の世界にも当然ありますからね。
議論よりも結果に結びつけることが先決です。

【問題】
コスモといえば、どこの馬主とほぼ同じですか?
主要騎手4名以上はすぐに脳裏に存在していますか?
OKなら基礎は大丈夫ですね。
 

【騎乗バランス・無気力競馬】は競馬にとって重要な予想ファクターです。

「下記3点」を検索してみるのも競馬の理解が深まるかもしれません。

■山岡事件

■ディープインパクト 凱旋門賞 失格

■2011年発覚イギリス競馬八百長事件


powered by HAIK 7.6.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional