ダービー2勝騎手の死
小島貞の死 ダービー2勝騎手が調教師で借金苦の理由は
実はトレセンの自厩舎で首を吊って亡くなったもの。
小島貞博 調教師(元騎手)が2012年1月23日亡くなった。享年60歳。心からご冥福をお祈りします。
その上で、死を追悼する意味でも少し考えてみたいことがある。
(注:サクラの小島太では無いのであしからず)
この死はJRAの現状の【騎乗バランスの偏り】を物語らせる。
何故、ダービー2勝した騎手が調教師をやっていて・・・??
この疑問部分に「騎手バランス」の根幹部分があると思っている。
原因は複数の関係者証言からは借金苦。
ここ数年、厩舎経営が行き詰まって免許を返上する調教師が多い。
小島貞も1月24、25日の調教師免許更新の面接を前にして、厩舎経営について悩んでいたという。23日、夫人に「先に行くから」という内容の電話があった後、午後3時ぐらいから連絡がつかなくなっていた。
JRA賞授賞式で盛り上がっている最中の訃報・・・。
(情報:以前から嫁が株やら手を出して、借金を重ねており約2億の借金がある。との情報もある)
1-1 関係者と「小島貞」との関係
■騎手時代、戸山厩舎の弟弟子、小谷内秀夫調教助手「さっき知ったばかり。びっくりした」
■娘婿(ムスメムコ)の田嶋翔騎手「悩んでいた。土曜に競馬場で会ったのが最後だった。普通を装ってはいたけど…。関東からこっちに呼んでくれたのは先生だった。お世話になったんで…。急だったから…」
■馬房は24日付で義兄の湯窪幸雄調教師に臨時貸し付けされ、今後転厩馬として調教やレースに臨むこととなる。
義兄は調教師の湯窪幸雄(小島の妻と湯窪の妻は姉妹)。
長男の博は佐山優厩舎の調教助手。
次女の婿は騎手の田嶋翔。
【武豊が活躍できる理由とJRAの本性】にも記載したが、どうしても騎手・調教師は人間関係が基本。
騎手・調教師は人間関係がとことん大事であること。これは「小島貞」の戦歴を見れば、逆説的に一目瞭然ということも出来る。
1-2 小島貞の戦歴
1992年のクラシック二冠を制したミホノブルボン
1994年の優駿牝馬(オークス)優勝馬チョウカイキャロル
1995年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬タヤスツヨシ
ダービー2勝騎手。
少年時代は苦労して、戸山調教師とミホノブルボンに出会って、
騎手として開花も、戸山調教師が亡くなった後、
騎乗依頼が急に無くなってしまったと思って騎手を辞めようとしてたら、
鶴留調教師に拾われて、2度目のダービーを獲ったりと、波乱万丈の人生。
まだ、逝くには早い!!(涙)
■他にもレガシーワールド・ドージマムテキ・フジヤマケンザンなど有名な活躍馬騎乗
■坂路調教元祖の戸山調教師の馬での活躍は華々しい。
■しかし何故か騎手通算4722戦495勝
ダービー2勝騎手で騎乗回数4722回とは
初免許取得が1971年
騎手通算4722戦495勝 これを他騎手と比較する場合
「通算とは」は「障害通算333回騎乗の68勝」が含まれているので
【騎手歴31年 平地通算 4389戦 427勝】という言い回しになる。
さて、この戦績。この騎乗回数は
昨今の騎手と比較して、どのくらいなのか!?
【小島貞 騎乗4722回】
戸山調教師の騎手観と馬への価値観
戸山調教師といえば、まず【一言居士(いちげんこじ)】という四文字熟語を覚えなくてはならない。【意味■どんな事についても、なにか自分の意見を言わないと気のすまない人。論客 論士 議論好き 議論家 出しゃ張り うるさ型】
享年60歳の、良い意味で口うるさいお爺ちゃんという感じ。 だけど
戸山師も騎手時代は相当の苦労人。自分のような思いをさせたくないという思いから戸山師は自分の管理している馬は絶対に所属騎手である小島貞か小谷内秀夫(現調教助手)しか乗せなかった。
有力な馬がいて、G1に勝てそうだという場合、馬主さんが「○○を乗せてくれ、その方が勝てるだろうから」と言いたくなる気持ちは私もわかる。しかし
「できません」と私は言う。自分より弱いものに悲しい、悔しい思いをさせてはいけない。「ミホノブルボンがどれくらいの期間走れるか知らないが、せいぜい走って三年」 従業員とはこれから先何年も付き合わなくてはいけないし、その子供達とも外孫みたいな気持ちでずっと行く。ここまできたのも彼らとの長い歴史のおかげだ。
【馬をとるか人をとるかといわれたら、私は躊躇なく人をとりたい】
武豊が乗ったからといって、必ず勝つとはかぎらない。小島や小谷内が乗っても勝てるかもしれない。それなら専属騎手を乗せるのがスジであり、納得がいくのである。